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伏線の罠 [映画のあれやこれや]

掲示板がまだ復旧しないので、本来なら掲示板に書くネタを書く。

「銀座の恋の物語」は、前半の青春群像劇的な部分があまり面白くないので、途中でややウンザリしてくるのだが、後半、浅丘ルリ子が記憶を失ってから俄然面白くなる。
前半で提示されたあれやこれやの(瑣末な)出来事や小道具が、記憶を取り戻すための「鍵」(伏線)として機能し始めるからだ。
いったい、どの出来事、あるいは小道具がルリ子の記憶を呼び覚ます「鍵」なのか?

 ほとんどの観客は、裕次郎が描いたルリ子の抽象的な肖像画が、その「鍵」であると思い込んでいるし、映画のセオリーとしても、「そうでなければならない」はずなのだが、なんと苦労の末に手元に戻ってきた肖像画を見ても、ルリ子の記憶は戻らないのである。
肖像画が記憶を取り戻す「鍵」であると信じ込んでいた観客は、その掟破りに驚き、またそれ故に大いに落胆する。


(以下ネタバレ)
 ルリ子の記憶を取り戻す「鍵」は・・・なんとまさに「鍵」。おもちゃのピアノの「鍵盤」であった。
さらにその鍵盤は、音が出ない。ルリ子の記憶同様に壊れているのだ。
その壊れた鍵盤で、「銀座の恋の物語」を奏でていると、ちょうど帰宅した裕次郎の歌声がそれに重なる。これでみるみるルリ子の記憶がよみがえる(このシーンはすばらしい)。

 もちろん壊れた鍵盤は前半にきちんと描写されており、この何気ない伏線を、「肖像画」のわかりやすい伏線が隠蔽していたわけだ。
ミステリ通も唸らせるミスディレクションの極意。
通俗的な歌謡メロドラマに仕組まれた伏線の罠。これには一本とられました。

(キネ旬の「日本映画全集」では「流行歌におんぶに抱っこの安易な企画」と書かれ、軽くあしらわれているが、実はなかなか凝った作品なのだ。脚本は後に「乱れ雲」「拳銃は俺のパスポート」を書く山田信夫と後の名監督熊井啓の共作)
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