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「悪の教典」 [映画のあれやこれや]

AKBの大島優子が「この映画は嫌いだ」とブログに書いたことは、この手の映画の場合宣伝として機能すると思うが、わしは、この映画はそれほど衝撃的ではなかった(原作は映画よりはるかに面白いけれど、やはり衝撃を感じるほどではなかった)。
教師が生徒を皆殺しにする、という内容が「衝撃的でない」というのは、逆に衝撃的だけれど、その理由は倫理の問題よりも、描き方に問題があるのだと思う。
原作もそうだが、映画はよりマンガ的で、一瞬たりとも現実と接点を持たないように作ってある。
職員室の様子はテレビの教師モノ(しかもかなり古臭いやつ)のパロディのようだし、生徒たちの織り成す学園ドラマ部分も時代遅れのアニメのようで、まるでリアリティがない。
 クライマックスの大殺戮シーンに至っても、追い詰められた生徒が錯乱して「僕は東大に行けるでしょうか?」とサイコ教師に訊ね、連続発砲で耳を聾したサイコ教師は「え?TO DIE?」と聞き違えて、その生徒を殺す・・・といった「おふざけ」に終始しており、まあ、それは三池監督の特色ではあるのだけれど、生々しくやって問題になったら嫌だから・・・といった腰の引けた結果なのではないか?などと勘ぐってしまう。

 たとえば「スターシップ・トルーパーズ」は、残酷な大虐殺シーンと、わざとリアリティを外した日常シーンのコントラストが効果的であったけれど、「悪の教典」はそこまで戦略的でなく、無意識に内なる倫理観に従ってしまった結果、中途半端なマンガに堕してしまったのではないか?

 同じ学園内の惨事を描いた「高校大パニック」(生徒と教師の立場が逆だが)には、まだ観客とつながる部分があって、切実な感じは出てたように思う。大島優子は「高校大パニック」はどう見るかな?
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