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「特別編集ジェイムズ・ボンドのすべて」の謎が解けた [映画のあれやこれや]

当ブログ2009年9月27日(http://yoshi-s.blog.so-net.ne.jp/2009-09-27)で取り上げた「特別編集ジェイムズ・ボンドのすべて」は、今なお謎が多い特殊宣材冊子である。
このたびこの冊子を編集された川田氏より連絡があり、その全貌が解明したので、その詳細を報告したい。

川田氏によると「特別編集ジェイムズ・ボンドのすべて」は四国OSチェーン(高松ライオンカン、松山スバル座、テアトル土電、徳島OSグランド、徳山国際劇場)のうちテアトル土電を除く4つの劇場が共同で作成したもの。
印刷製本は松山。各劇場共通の誌面構成だが、広告は各県で差し替えられた。(ただし徳山国際劇場分は巻末に”地獄の黙示録”紹介1ページ、”読者サロン”2ページ、”フィルムマラソン”のお知らせ1ページ、あわせて4ページを添付して製本)

川田氏は全頁最低2色刷りを希望していたが、表紙をフルカラーにするようOSから指示があり、そのしわ寄せで本文の紙質が低下し、モノクロになったそうだ。

前売り券購入者、試写会入場者、公開前の入場者に配布されたが、残った物は当日券の入場者にも配布したようだ。試写会に参加した川田氏は上映後、座席や床に放置された冊子を見て
(一部当たりの単価は販売しているパンフレットより多分高いし内容だって負けてないのに・・・)
と大変がっかりされたそうだが、試写会に参加した人が必ずしも007ファンでないことを思えば、これは仕方がなかったかもしれない。
またこうして読み捨てにした人が一定数いたことで「ジェイムズ・ボンドのすべて」の希少性が高まり、現在のプレミア価値が生じたともいえるだろう。

さて「特別編集ジェイムズ・ボンドのすべて」を川田氏が担当されるにあたっての経緯については次回お伝えしたい。
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OPPO BDP-103 [オーディオ&ビジュアル]

BDプレーヤー「OPPO BDP-103」を格安で入手した(中古)。
この機種は画質の特殊な調整ができるマイナーチェンジ版が出たらしいので、それに買い替えたか、一つ上の機種の105に乗り換えた人が売ったようだ。
外観は特に問題が無いが、DVDがリージョンフリーに変更されており、脚部がタオックのインシュレーターに換装されていた。(このインシュレーターはやや美観を損ねる感じなので外そうとしたが、非常に強固に固定されていて取れなかった)
なお本商品は「JP」仕様であり、メニュー表示は全て日本語になっていた。

 今まで使っていたパナソニックのDMP-BDP320に不満があったわけではないが、実売1万円台のプレーヤーと新品価格7万円台のプレーヤーには、利便性以外のクオリティの差があってしかるべしだ、と考え、特にHDMIのA/V分離出力に興味を持ったので衝動買い的に購入した。
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 HDMIケーブルの一本を直接プロジェクターに結線。もう一本を音声専用としてAVアンプに繋いで見慣れたソフトを鑑賞してみたが、映像は今まで使ったどのBDプレーヤー(パナソニック、ソニー、パイオニア、PS3)よりも線が細い。よく言えば繊細、上品。悪く言えば力強さに欠ける感じだ。色彩もやや淡い感じだが、これは描画の細さに影響されてそう見えるだけかも知れない。
画質調整の機能も充実してるので、力強い線の太い画質への変更も可能かと思うが、目に優しい感じもするので、暫くはこの標準画質で固定してみることにしよう。

 音質はさらに大きな変化があった。
繊細な画質とは逆にかなり音が張り出してくる。全ての音が聞き取りやすいのは、微小なノイズから解放されたからか?特に人声が生々しい。
従来のボリュームから一段絞っても、迫力と聞き取り易さが維持されており、サブウーハーの領域も解像度が増して重低音にニュアンスが乗った。
 正直ここまで変化があるとは思わなかった。購入直後は衝動買いの悪い癖を少し後悔し、精神的な充足感だけでも満足しようと思っていただけに、これはうれしい誤算だった。

 他に「作動音が少ない」「リモコンが使いやすい(照明付き)」「すべての動作がPS3並に機敏」といった利点があり、新品の約半値で購入できたので、これはお買い得感抜群であった。
残念なのはDVDアップコンバートの画質がやや甘い点。それから先に書いた繊細すぎる画質だが、これは慣れたら利点と転ずる可能性もある。

 OPPOのBDプレーヤーは雑誌などでも評価が高いが、さすがにそれなりの実力があることがわかった。
わしはBDプレーヤーやDVDプレーヤーはデジタル出力に固定すれば廉価商品と高額なものとの差は少ない、という思い込みがあった。それは訂正せねばならないようだな。

ツンデレスピーカー [オーディオ&ビジュアル]

いつなんどきでも同じ音を奏でるダリZENSOR7は、安定しているという点ではわしが今まで使ってきたどのスピーカーよりも優れている。
ある水準の音を必ず聞くことができるという安心感は素晴らしい利点であると言える。
しかし一方では、想像以上の音が突然に飛び出してくるといった驚きは期待できない。
たとえアンプやプレーヤーを変更しても、その変化は非常に小さく、頑として己の音を奏で続けるのであるから、オーディオ的、趣味的にはあまり面白味のないスピーカーであるとも言える。
先日このスピーカーの内側にブックシェルフタイプのマイクロピュアCz310ESをセッティングするという暴挙に対しても、そこに見られた変化は予想以上に少なく、この調子ならひっくり返してセッティングしても同じように鳴るのではないか?とすら思える鈍感・・・いや堂々たる安定感。こうなってくると呆れるほどである。

逆にとてつもなく不安定なのがマイクロピュアCz310ESだ。
このスピーカーはセッティングにも上流機器にもきわめて敏感であり、何をやってもころころと音が変わる。
小型スピーカーには概してそうした傾向があるけれど、特に顕著な部類だろう。
困ったことにセッティングの状況では「かなり不味い音」にあることがあり、現状のようにZENSOR7の間に挟まっているような置き方は、このスピーカー本来の美徳をかなり削いでいるのである。
セッティングや上流機器の選択に誤りがなくとも、このスピーカーは不安定である。
つまり同じ条件で同じCDを鳴らしても、とても良く聞こえる時と、そうでないときの差が激しい。

電源の状態によるものなのか、気温湿度によるものなのか?はたまた聞き手の精神的肉体的状態によるものなのか?それらの複合されたものなのか、さっぱりわからないが、まあ打率は3割ぐらいか?
残る7割は「うまく鳴ってくれない」のである。
しかし、ここでセッティングやケーブルなどを変えてはダメだ。
時間を改めて聞き直せば、あれ、さっきはあんなに不味い音だったのに、どうしてこのように美しく鳴るのか?
ということになる(ならないときもある)。

MM氏は不安定の原因はエージング不足ではないか?というのだが、このスピーカーは暫時使用してない期間もあったけれど、もう3年もうちにあり、その3年間ずっとこういう調子なのだ。
「さあ、今日は綺麗に鳴ってくれるだろうか」
いつもドキドキする。
このドキドキこそ趣味の醍醐味に違いない。
今日は鳴らなかった、でも明日は・・・という期待感がいつまでもこのスピーカーを意識させる。これが愛着というものだ。

いつもツンツンしている女性が突然デレデレして擦り寄ってくる状況をツンデレというらしいが、Cz310ESには、そういう困った女に似た愛おしさがある。

安定したZENSOR7の頼もしさと、ツンデレのCz310ES。いい組み合わせである。

脳が妥協するまでの時を繋ぐもの [オーディオ&ビジュアル]

オーディオ道楽で知られた作家の五味康祐のエピソードで一番壮絶なのが、意にそわぬスピーカー(コンクリートホーン)をハンマーで叩き壊したことだろう。
このことは五味康祐のオーディオ関係の本ならどの本でも書かれているので、詳細はそれを読んでいただきたいが、まあ、これはどう考えても狂気の沙汰である。
しかし、オーディオをやるものなら大金を投じた機器が、思った通りの音を奏でてくれない悲しさ、悔しさ、怒りを何度となく経験しているはずだ。
ハンマーで打ち壊すことはないだろうが、拳骨で殴るぐらいのことはやったことがあるのではないか?
「こんなはずでは…」の苦しみを乗り越えていくことこそがオーディオという趣味なのかも知れぬ。

「こんなはずでは…」の悲しい気分を緩和するためにエージングという言葉があり、ケーブルに代表される各種アクセサリーが存在している…などと書くとまた怒る人もあるだろうが、わしはそんなものだと思うようになった。
アクセサリーと戯れているうちに「こんなはずでは…」の鬱気分がいくらかでも減少し、そのうち耳が慣れて(脳が妥協して)、嫌いだった音がなんとなく耳に馴染むようになるのである。
ケーブルは脳が妥協するまでの時間を繋ぐアイテムなのだ。

泥沼 [オーディオ&ビジュアル]

20年ほど前。オーディオに興味を持ったWさんが、小遣いを貯めてタンノイのスピーカーを買ったというので聴きにいった。
当時、わしもタンノイ・スターリングを使っていたがWさんが買ったのは、もうひとつ上の機種だった。わしはとても妬ましく思った。
Wさんは得意げにモーツァルトのピアノ協奏曲などを聞かせてくれたが、堂々とした音が素晴らしい。
「どや?これがホンモノのタンノイや!」
お前の持っているのは最廉価の安もんだ!と言われているようで、はらわたが煮えくり返った。
しかし、確かに我が家ではこんな重厚濃密な音は出ない。完敗だった。
Wさんのアンプはソニーの安いプリメインだったが、やはりオーディオを支配するのはスピーカーなんだなあ…と思った。わしはスピーカーより高いマッキンのアンプを使っていたので、こんなことならアンプの分もスピーカーにつぎ込めばよかった、と後悔した。
数ヶ月後、Wさんは「アンプをグレードアップして、もっといい音にするんや!」と、高級な国産セパレート・アンプを購入した。今度は借金したそうだ。
(もうすでにあんなにいい音で鳴っているんだから、アンプのグレードアップはまた小遣いを貯めてからすればいいのに)
と、わしはさらに妬んだ。ますますわしと差がついてしまうじゃないか。瞼の裏に勝ち誇って高笑いするWさんの顔が浮かんで消えた。

しかしオーディオとは上手くいかないものなのだ。
あんなに荘重華麗に鳴っていたWさんのタンノイが、アンプを変えたとたんに鳴らなくなったのだ。
「ぷ〜ぷ〜ぷぷぷ…」全ての音楽が屁のような音に聞こえるのだ。
Wさんは「何でや?何で20倍も高いアンプに変えたのに悪くなるんや?おい!電機屋!金返せ!」と半泣きで訴えた。
しかしショップの店長は涼しい顔で「いや、アンプは本領発揮するのに時間がかかりますんや。私が聴く限りでは、これはかなり可能性の高い音やから、もうちょっと我慢したらええ音になりまっせ。ええ音になるからエエジングいう専門用語もありまっせ」と応えた。
単純なWさんは「エエジングか!」と簡単に納得し、しばらくそのまま屁のような音を聴き続けた。

数ヶ月後、Wさんは二束三文でセパレート・アンプを売り飛ばし、さらに高級な海外アンプを贖った。
わしが「前のソニーでいい音が出てたのだから、ソニーに戻せばいいのに」と言うと、Wさんは顔を真っ赤にして「あっか!(ダメだ)あんな安モン!あんな安モンでタンノイが鳴るか!」と怒鳴った。
ソニーのプリメインアンプで満足していた、ほんの半年前のことを忘れてしまったのだろうか?
いやWさんはオーディオの罠に嵌ったのだ。
音質は価格に比例する(はずだ)。この度は不幸にして例外的な失敗となったが、今度こそは!
さらにショップの店長が「高級スピーカーに安モンのアンプを繋ぎ続けると、安いスピーカーになっていくんです。」と吹き込んだため、Wさんはソニーのプリメインアンプを捨ててしまった。

果たしてさらに高級な海外アンプは、タンノイを素晴らしい音で奏でたか?
確かに前よりは良くなった。
「うわ〜良くなった良くなった!」
Wさんは大満足で狂喜した。だが、わしの耳には「良くはなったが、ソニーのプリメインアンプの時と同程度」に聴こえた。
Wさん自身が喜んでいるのだから、それでいいのかもしれないが、この時、わしはオーディオの怖さを少しだけ知った。

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