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ケーブル論争 [オーディオ&ビジュアル]

スピーカーケーブルやピンケーブル、電源ケーブルで音が変わるのか?
この決着のつかぬ問題は、今もどこかで論争の火種となっている。
わしは「変わった」と感じたのなら、それが物理的な事実だろうが、魔術だろうが、錯覚だろうが関係なく
「良かった良かった!」
と喜べばいいだけの話であるように思う。

厳密な測定器が音が変化したことを実証しても、聞いてる本人が「変わったように感じない」のなら変わってないのと同じだ。
問題はすべて本人の「感じ方」に帰結するのであるから、「変わった」と感じたらまさしく「変わった」のであり、変わったと感じないのなら、変わらないのだ。

否定派の人は、自分で聞いてみて「変わった」ように感じても、科学的にそれはあり得ない、と否定する頑迷さがある。あるいは己の信ずる科学に従順であるために、本当に変わるような状況があっても「変わってない」と聞こえる可能性もある。

つまり肯定派も否定派も、その信じるべきものに振り回されているという意味では似たもの同志である。

わしは「多分、ケーブルによる音の変化は幻想だろう」と思っているが、積極的にその幻想をオーディオに利用するのも楽しいと考えているので、時々「もしかしたら音が変わるのではないか?」という考えも持つようにしている。
器用なように思うかもしれないが、あまり過激でないオーディオファンは、皆、そういうふうに揺らいだ感覚でもって楽しんでいるのではないかな?

絶対変わる、という思い込みも危険だが、絶対変わらない、という思い込みはつまらない。
どっちなのかな~?とふらふらするのが、お金を使いすぎることもないし、せっかくの楽しみに背を向けることもないので一番いいんじゃないかな?

ダリ メントール・メヌエットSE [オーディオ&ビジュアル]

去年の暮、AV仲間のAさん宅にうかがった。
Aさんは「最近はAVよりもオーディオが楽しい」というのだが、AVアンプとBDプレーヤー、低音ボワボワの某社の廉価スピーカーでは「格好がつかない」というので、今後ピュアオーディオ用に特化した機器を揃えていくと言った。
(「格好がつかない」というのは他人さんに対する言葉ではなく、自分自身のヘンテコな矜持に対する言葉である。この…自己満足ともいう・・・厄介な矜持が、オーディオの泥沼を深化させるものであることは、やってる人は皆自覚している)

連休中に行ってみると、スピーカーだけ「DALIメントール・メヌエット」に代わっていた。
わしがこの前買ったのもメントールメヌエットだが、Aさんのは、そのスペシャルバージョンの「SE]である。
(Aさんは、わしが買ったことを知らないので、真似て買ったのではない。偶然である)

プレーヤー、アンプが低レベルだが、やはりこのスピーカーが立派であることはよくわかった。
この状態でも、わしの家のものより良く鳴っていて、さすがはスペシャル・バージョン。見かけも綺麗だが、音も値段相応にアップしているのだ。
これでプレーヤー、アンプをピュアオーディオのものに換装すれば、どんな音になるのか?
想像するだけでも恐ろしい。

SEの内部が、オリジナルに比べてどのように違っているのかは知らないが、音はよりタイトに締まっており、無駄な要素が除外されている感じ。
一部では「オリジナルより色気がない」と言われているらしいが、そんなことはない。そこかしこに、この機種らしい「お色気」が漂い、官能的だ。
よりソリッドな音なのでボリュームを一目盛り上げて聞いてちょうど良い。つまり微小レベルの情報がより耳に届く。いいことづくめだ。

オリジナルに比べれば悪い点は見当たらず、オリジナルを贖った身としては歯痒い限りである。
ただ、ここまで質的向上がみられると、こうしたコンパクトな機種では致し方ない「低音の不足」が気になる。
オリジナルなら「こんなものだ」で許容できるが、高性能、高価格のSEでは不満になる。
実際Aさんも「前の安物に比べても低音がない」と不満を口にしていた。

 これはスピーカーの規格の問題であるから、アンプやプレーヤーをグレードアップしても根本的には解決しないだろう。低音を欲するなら大きな容積を持つスピーカーを求めるしかない。何でも小型で出せるなら、フロア型の存在意義がなくなる。

 Aさんは夏ごろにプライマーのアンプとプレーヤーを買う予定だそうだ。
もうAさん宅に行くのはやめよう。

DALI メントール・メヌエットとCz310ES [オーディオ&ビジュアル]

マイクロピュアCz310ESの位置(ダリZENSOR7の内側奥)にダリ・メントールメヌエットを置いてみた。
こうした配置に問題があることは以前記したが、メントールメヌエットはCz310ESほどセッティングに神経質なスピーカーではないため、特段な音質の劣化は無いように思えた。

Cz310ESとメントールメヌエットは同じ小型でも性格が180度異なる。
Cz310ESは音が前に来るが、メントールメヌエットは後ろに広がる。
つまりCz310ESは音楽が耳元まで積極的に飛んでくるのに対して、メントールメヌエットはこちらから聞きに行ってやらないといけない。
音質自体はモニター的で高域寄りのCz310ESがきつく、長時間聞くと疲れる感じだが、メントールメヌエットは意図的に刺激成分を排除した柔らかい耳にやさしい音にも関わらず、こちらから聞きに行く姿勢を見せないとならないため、結果的にやはり疲れることがある。

聞き手の姿勢に関係なく音を飛ばしてくる強引な迫力はメントールメヌエットにはない。
しかし、演出された美音は、ある種の音楽を大変魅力的に整形し、ほれぼれさせる。

(以前使ったアクースティックラボ・ボレロは、音が前に迫る積極性と、コントロールされた美音が共存する、理想的なスピーカーであったな、と思う。あれは本物の名器だった)

Cz310ESはサイズ相応の音にこだわってか、低域はすっぱりあきらめている。それは潔い態度だと思うが、物足りないジャンルもある。対してメントールメヌエットはほとんど同サイズなのに、がんばって低域を伸ばしている。だから小型なのに交響曲もそれなりに聞ける。が、あくまでそれなりであって、その美音調整のための弊害か、どことはなしに嘘くさい。
低音がなくて物足りなくても、Cz310ESで聞く交響曲は嘘がない感じが良い。前に迫るイメージも大編成曲には似つかわしく思える。

以上より、わしとしてはやはり(性能は抜きにして)キャラクターとしてはCz310ESが、より魅力的なスピーカーに思える。
ただし何度も書くが、メントールメヌエットの美音醸造の能力は素晴らしいものがある。これは滅多にない個性である。ZENSOR7も美音系だが、徹底しているのはメントールメヌエットだ(同じメーカーなので、よく似た音調であることも確かだが)。奥ゆかしく美しく鳴るスピーカーでBGM的に音楽を奏でて、読書をしたり思索にふける、といった使い方ならメントールメヌエットの価値は存分に高い。
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DALI MENTOR/MENUET [オーディオ&ビジュアル]

わしがダリ・メントールメヌエットについてここに最初に記したのは2010年の6月。
わしは発売間もなかったこのスピーカーを、経年劣化の症状が著しくなったアクースティックラボ・ボレロの後釜に相応しいとして、本気に購入する予定だったのだが、極めてデリカシーのない男に先に買われたため、購入意欲が激減して取りやめた・・・。という奇っ怪なる経緯は2010年7月18日ブログ
http://yoshi-s.blog.so-net.ne.jp/2010-07-18
や、その後の関連記事を読んでいただければ、理解できる(できないか?)と思う。

そのかわりに贖ったのがマイクロピュアのCz310ESだった。
これは、同じ小型でもダリ・メントールメヌエットとは正反対の鳴り方をする強烈個性のスピーカーで、これはこれで大変満足できるものではあったけれど、AV用には決して転用できぬ性格なので、すぐにAV用途にダリZENSOR7という、これまた性格の極端なるスピーカーを追加した。

Cz310ESとZENSOR7をとっかえひっかえしながら、時には両者を並べて使用してきた。
こういうややこしいことになった原因は、最初に目論んだメントールメヌエットの導入が果たせなかったからであり、すべてはデリカシー皆無の男が悪いのであるが、そんな状態が4年ほど続いたことになる。

このたび、やっと「知った他人に先を越された」という些末な拘りから脱したため・・・また増税前ということもあり・・・宿願、念願のメントールメヌエットを買うことが出来た。
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しかしCz310ESとZENSOR7がそのためにお払い箱になるわけではない。
これらは、メントールメヌエットを導入できぬ腹癒せに贖った機種とはいえ、性能に不足なく、またまだまだ愛着が衰えることはない。とっかえひっかえの「面倒」も、今や愉しみに転じている。

メントールメヌエットは当分サブシステムとして使用し、折を見てメインシステムに昇格になるか、あるいは、…できれば…メインシステム2本立てという豪華な展開を希望している(あくまで希望だが)。

(メントールメヌエットは好評につき「SE」なるスペシャルバージョンも併売されるようになっているが、これは未聴であるし、聞いて良かったら予算の都合もあって困るので、わしの中では「そんなものは発売されていない」ということにした)

メントールメヌエットは4年前に記したとおり、色気があるスピーカーであり、音に湿り気があり、ぬめぬめしている。このぬめぬめがボレロ同様、非常に耳に心地よい。何でもかんでも聞ける万能型ではないが、わしはこうした個性を尊重する。
4年前はまだネット上では低評価で、この前の機種にあたるロイヤルメヌエットの高評価に対して聞き劣りするという批判があったが、わしはロイヤルメヌエットには良い印象を持っていなかった(やや緩慢に過ぎる気がした)ので、ややスピードを増したメントールメヌエットは最初から評価していた。この評価は、こうして4年後に、やっと導入できた今も変わらない。
ぬめぬめで、ちょっとスピーディ。なんか矛盾しているが、名器とはそうした性質に恵まれているものなのだろう。

さっそく「物置シアター」のメインシステムに組み込みたくなったが、予定通り、しばらくは母屋で鳴らそう。マッキンのMC7150(古い!)とフィリップスのプリアンプ(古い!)。CDプレーヤーはオンキョーの安物だが、個性あるスピーカーはアンプの素性に左右され難いのだ。
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OPPO BDP-103 [オーディオ&ビジュアル]

BDプレーヤー「OPPO BDP-103」を格安で入手した(中古)。
この機種は画質の特殊な調整ができるマイナーチェンジ版が出たらしいので、それに買い替えたか、一つ上の機種の105に乗り換えた人が売ったようだ。
外観は特に問題が無いが、DVDがリージョンフリーに変更されており、脚部がタオックのインシュレーターに換装されていた。(このインシュレーターはやや美観を損ねる感じなので外そうとしたが、非常に強固に固定されていて取れなかった)
なお本商品は「JP」仕様であり、メニュー表示は全て日本語になっていた。

 今まで使っていたパナソニックのDMP-BDP320に不満があったわけではないが、実売1万円台のプレーヤーと新品価格7万円台のプレーヤーには、利便性以外のクオリティの差があってしかるべしだ、と考え、特にHDMIのA/V分離出力に興味を持ったので衝動買い的に購入した。
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 HDMIケーブルの一本を直接プロジェクターに結線。もう一本を音声専用としてAVアンプに繋いで見慣れたソフトを鑑賞してみたが、映像は今まで使ったどのBDプレーヤー(パナソニック、ソニー、パイオニア、PS3)よりも線が細い。よく言えば繊細、上品。悪く言えば力強さに欠ける感じだ。色彩もやや淡い感じだが、これは描画の細さに影響されてそう見えるだけかも知れない。
画質調整の機能も充実してるので、力強い線の太い画質への変更も可能かと思うが、目に優しい感じもするので、暫くはこの標準画質で固定してみることにしよう。

 音質はさらに大きな変化があった。
繊細な画質とは逆にかなり音が張り出してくる。全ての音が聞き取りやすいのは、微小なノイズから解放されたからか?特に人声が生々しい。
従来のボリュームから一段絞っても、迫力と聞き取り易さが維持されており、サブウーハーの領域も解像度が増して重低音にニュアンスが乗った。
 正直ここまで変化があるとは思わなかった。購入直後は衝動買いの悪い癖を少し後悔し、精神的な充足感だけでも満足しようと思っていただけに、これはうれしい誤算だった。

 他に「作動音が少ない」「リモコンが使いやすい(照明付き)」「すべての動作がPS3並に機敏」といった利点があり、新品の約半値で購入できたので、これはお買い得感抜群であった。
残念なのはDVDアップコンバートの画質がやや甘い点。それから先に書いた繊細すぎる画質だが、これは慣れたら利点と転ずる可能性もある。

 OPPOのBDプレーヤーは雑誌などでも評価が高いが、さすがにそれなりの実力があることがわかった。
わしはBDプレーヤーやDVDプレーヤーはデジタル出力に固定すれば廉価商品と高額なものとの差は少ない、という思い込みがあった。それは訂正せねばならないようだな。

ツンデレスピーカー [オーディオ&ビジュアル]

いつなんどきでも同じ音を奏でるダリZENSOR7は、安定しているという点ではわしが今まで使ってきたどのスピーカーよりも優れている。
ある水準の音を必ず聞くことができるという安心感は素晴らしい利点であると言える。
しかし一方では、想像以上の音が突然に飛び出してくるといった驚きは期待できない。
たとえアンプやプレーヤーを変更しても、その変化は非常に小さく、頑として己の音を奏で続けるのであるから、オーディオ的、趣味的にはあまり面白味のないスピーカーであるとも言える。
先日このスピーカーの内側にブックシェルフタイプのマイクロピュアCz310ESをセッティングするという暴挙に対しても、そこに見られた変化は予想以上に少なく、この調子ならひっくり返してセッティングしても同じように鳴るのではないか?とすら思える鈍感・・・いや堂々たる安定感。こうなってくると呆れるほどである。

逆にとてつもなく不安定なのがマイクロピュアCz310ESだ。
このスピーカーはセッティングにも上流機器にもきわめて敏感であり、何をやってもころころと音が変わる。
小型スピーカーには概してそうした傾向があるけれど、特に顕著な部類だろう。
困ったことにセッティングの状況では「かなり不味い音」にあることがあり、現状のようにZENSOR7の間に挟まっているような置き方は、このスピーカー本来の美徳をかなり削いでいるのである。
セッティングや上流機器の選択に誤りがなくとも、このスピーカーは不安定である。
つまり同じ条件で同じCDを鳴らしても、とても良く聞こえる時と、そうでないときの差が激しい。

電源の状態によるものなのか、気温湿度によるものなのか?はたまた聞き手の精神的肉体的状態によるものなのか?それらの複合されたものなのか、さっぱりわからないが、まあ打率は3割ぐらいか?
残る7割は「うまく鳴ってくれない」のである。
しかし、ここでセッティングやケーブルなどを変えてはダメだ。
時間を改めて聞き直せば、あれ、さっきはあんなに不味い音だったのに、どうしてこのように美しく鳴るのか?
ということになる(ならないときもある)。

MM氏は不安定の原因はエージング不足ではないか?というのだが、このスピーカーは暫時使用してない期間もあったけれど、もう3年もうちにあり、その3年間ずっとこういう調子なのだ。
「さあ、今日は綺麗に鳴ってくれるだろうか」
いつもドキドキする。
このドキドキこそ趣味の醍醐味に違いない。
今日は鳴らなかった、でも明日は・・・という期待感がいつまでもこのスピーカーを意識させる。これが愛着というものだ。

いつもツンツンしている女性が突然デレデレして擦り寄ってくる状況をツンデレというらしいが、Cz310ESには、そういう困った女に似た愛おしさがある。

安定したZENSOR7の頼もしさと、ツンデレのCz310ES。いい組み合わせである。

脳が妥協するまでの時を繋ぐもの [オーディオ&ビジュアル]

オーディオ道楽で知られた作家の五味康祐のエピソードで一番壮絶なのが、意にそわぬスピーカー(コンクリートホーン)をハンマーで叩き壊したことだろう。
このことは五味康祐のオーディオ関係の本ならどの本でも書かれているので、詳細はそれを読んでいただきたいが、まあ、これはどう考えても狂気の沙汰である。
しかし、オーディオをやるものなら大金を投じた機器が、思った通りの音を奏でてくれない悲しさ、悔しさ、怒りを何度となく経験しているはずだ。
ハンマーで打ち壊すことはないだろうが、拳骨で殴るぐらいのことはやったことがあるのではないか?
「こんなはずでは…」の苦しみを乗り越えていくことこそがオーディオという趣味なのかも知れぬ。

「こんなはずでは…」の悲しい気分を緩和するためにエージングという言葉があり、ケーブルに代表される各種アクセサリーが存在している…などと書くとまた怒る人もあるだろうが、わしはそんなものだと思うようになった。
アクセサリーと戯れているうちに「こんなはずでは…」の鬱気分がいくらかでも減少し、そのうち耳が慣れて(脳が妥協して)、嫌いだった音がなんとなく耳に馴染むようになるのである。
ケーブルは脳が妥協するまでの時間を繋ぐアイテムなのだ。

泥沼 [オーディオ&ビジュアル]

20年ほど前。オーディオに興味を持ったWさんが、小遣いを貯めてタンノイのスピーカーを買ったというので聴きにいった。
当時、わしもタンノイ・スターリングを使っていたがWさんが買ったのは、もうひとつ上の機種だった。わしはとても妬ましく思った。
Wさんは得意げにモーツァルトのピアノ協奏曲などを聞かせてくれたが、堂々とした音が素晴らしい。
「どや?これがホンモノのタンノイや!」
お前の持っているのは最廉価の安もんだ!と言われているようで、はらわたが煮えくり返った。
しかし、確かに我が家ではこんな重厚濃密な音は出ない。完敗だった。
Wさんのアンプはソニーの安いプリメインだったが、やはりオーディオを支配するのはスピーカーなんだなあ…と思った。わしはスピーカーより高いマッキンのアンプを使っていたので、こんなことならアンプの分もスピーカーにつぎ込めばよかった、と後悔した。
数ヶ月後、Wさんは「アンプをグレードアップして、もっといい音にするんや!」と、高級な国産セパレート・アンプを購入した。今度は借金したそうだ。
(もうすでにあんなにいい音で鳴っているんだから、アンプのグレードアップはまた小遣いを貯めてからすればいいのに)
と、わしはさらに妬んだ。ますますわしと差がついてしまうじゃないか。瞼の裏に勝ち誇って高笑いするWさんの顔が浮かんで消えた。

しかしオーディオとは上手くいかないものなのだ。
あんなに荘重華麗に鳴っていたWさんのタンノイが、アンプを変えたとたんに鳴らなくなったのだ。
「ぷ〜ぷ〜ぷぷぷ…」全ての音楽が屁のような音に聞こえるのだ。
Wさんは「何でや?何で20倍も高いアンプに変えたのに悪くなるんや?おい!電機屋!金返せ!」と半泣きで訴えた。
しかしショップの店長は涼しい顔で「いや、アンプは本領発揮するのに時間がかかりますんや。私が聴く限りでは、これはかなり可能性の高い音やから、もうちょっと我慢したらええ音になりまっせ。ええ音になるからエエジングいう専門用語もありまっせ」と応えた。
単純なWさんは「エエジングか!」と簡単に納得し、しばらくそのまま屁のような音を聴き続けた。

数ヶ月後、Wさんは二束三文でセパレート・アンプを売り飛ばし、さらに高級な海外アンプを贖った。
わしが「前のソニーでいい音が出てたのだから、ソニーに戻せばいいのに」と言うと、Wさんは顔を真っ赤にして「あっか!(ダメだ)あんな安モン!あんな安モンでタンノイが鳴るか!」と怒鳴った。
ソニーのプリメインアンプで満足していた、ほんの半年前のことを忘れてしまったのだろうか?
いやWさんはオーディオの罠に嵌ったのだ。
音質は価格に比例する(はずだ)。この度は不幸にして例外的な失敗となったが、今度こそは!
さらにショップの店長が「高級スピーカーに安モンのアンプを繋ぎ続けると、安いスピーカーになっていくんです。」と吹き込んだため、Wさんはソニーのプリメインアンプを捨ててしまった。

果たしてさらに高級な海外アンプは、タンノイを素晴らしい音で奏でたか?
確かに前よりは良くなった。
「うわ〜良くなった良くなった!」
Wさんは大満足で狂喜した。だが、わしの耳には「良くはなったが、ソニーのプリメインアンプの時と同程度」に聴こえた。
Wさん自身が喜んでいるのだから、それでいいのかもしれないが、この時、わしはオーディオの怖さを少しだけ知った。

本当に音が痩せるのか? [オーディオ&ビジュアル]

業務用の電源ディストリビューターには強力なノイズフィルターが搭載されているのだが、これをオーディオ用途に使うのは良くないらしい。
理由はノイズが消えると同時に「音が痩せて」「躍動感が無くなる」から、と言われている。

一方では電源を見直すことは音質に影響を与えない。という説もあり、電源ケーブルの換装や電源環境の見直し(200ボルト導入、マイ電柱の設置、アイソレーショントランスなど)は、なんら効果が無いとする人もいる。

音が痩せる、という表現はなんとなくわかるが、音が太るという言い方はあまりしないから、「太った音が常態である」という考えがピュアオーディオの常識なのかもしれない。

普通人体などでは肥満していると躍動感が減じるが、オーディオでは逆なのだろうか?
まあ、病的に痩せれば当然躍動しなくなるが、適度に痩せていれば躍動感は増す、はずで・・・
いや、まあ、何事も人体が基準になっているわけではない。

しかしこういう風に突き詰めていくと、電源ディストリビューターを導入し、音が痩せて~躍動感が無くなる、ことが実感できれば、電源環境がオーディオに与える影響が錯覚でないことが証明できる。

ということで知人のミュージシャンに電源ディストリビューターを借りて実験してみた。
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機材は重く大きい。鉄の塊だ。5キロぐらいはある。古いものだが、現在でも売られているそうだ。
(価格は1万円ぐらい。オーディオ用タップからすると信じられないほど安い)
コンセントは10個以上ついており、把持力が強い。
右のスイッチで全ての電源がカットできるようになっており、内部にはノイズカットの回路が組み込まれている。

一つや二つの機具では効果があってもわかり難いだろうから、アンプ、プレーヤー、プロジェクターのすべてを結線して、音を出してみた。
さあ、音は痩せるだろうか?

結果は痩せもしないし太りもしない。
音質の変化は感じられなかった。
もともとノイズに悩まされているわけでなかったので、ノイズカットの効果も不明。
ただ、プロジェクターの作動音が、やや小さくなったのは、唯一の改善項目。
まあこの作動音もノイズであるから、そういう意味でのノイズカットには効果があったといえる。
(Blu-rayプレーヤーの作動音は変化なし)

音質に変化が無いのなら、この機材は「便利グッズ」として使えると思う。
買わないけどね。

オーディオ鬱 [オーディオ&ビジュアル]

機材を充実させることで、だんだん音が良くなっていくことは、オーディオの醍醐味である。
しかし音の良し悪しというのは、オーディオ趣味が継続している時にしかわからないようだ。
わしは時々、オーディオが馬鹿馬鹿しくなることがあるのだが、そうなると装置に対して真摯に向き合わなくなる。音楽は聞くが音は聞かないという状態になる。
そんな時は、音の良し悪しがわからない。今までお金と時間をかけて、いったいどこが、どう良くなったのか?あるいは、どこがどんな風に悪いのか?
さっぱり、わからないし、わかりたくもない。
その状態が、数ヶ月から一年以上続くことがある。
新製品が気にならなくなり、オーディオ雑誌は立ち読みもしない。オーディオだけで繋がっている友人との関係が疎遠になり、変にお金が貯まったりするのだ。
この状態は、わしだけでなく、多くのオーディオ好きが経験することで、古いファンは「真空期間」と呼ぶし、わしの周りでは「オーディオ鬱」と病気のように呼ぶ人もいる。
ちょっと考えると、オーディオ鬱の期間は、正常で健康的な人間に戻っているわけで、病気呼ばわりはおかしいのだが、狂人の集団の中にいると正常こそ狂気である、ということか?

オーディオ鬱は、しかし、必ず自然治癒する病である。
そして多くの人はオーディオ鬱を脱するたびに、より深みにはまっていくという…
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